待ってました!天衣粉上野初花
2005年 12月 18日
河竹黙阿弥作である
ストーリーは、河内山宗俊というお数寄屋坊主(江戸城でお茶の接待などをする役目)が、大名に行儀奉公にでている上州屋という質屋の娘が殿様に見初められて難儀をしているのを知り、上州屋からちゃっかり金をせしめたうえで、大名屋敷にのりこみ娘を取り戻すというもの
いわば、悪のヒーローがいばりくさった大名をコケにしてヒロインを救い出すという、庶民にとっては痛快な物語であり、一種のコンゲームでもありますね
黙阿弥がこれを書いたのは幕末なのですが、実際に歌舞伎で上演されたのは明治も14年になってから、さすがにここまで大名をコケにした芝居はできなかったとみえます
以上、解説は05年10月より歌舞伎ファンになったkimcafeでした(^^ゞ
おれっ!?B級グルメが歌舞伎に変わったのと思われるでしょうが、実はこの作品
食べ物に関係するおもしろい台詞がいっぱいでてくるのです
「失礼ながら、こなた衆は、八はい豆腐や目刺の惣菜ばかり食っているから、ろくな工夫もつきますまい」
これは、宗俊が上州屋で娘の助け出しを200両で請け負うときの台詞です
番頭「ほう、それではあなたは常普段、おいしいものを召し上がるゆえ、うまい工夫がつきまするか?」
「それは、こなたが言わずとも、年が年中、上綺羅で大大名に出入りをし、うめーものを食っているから、また分別もその通り、うめえ工夫がどしどし出るわ」
実は、ここにでてくる「八はい豆腐」と「目刺」ですが、江戸時代の「おかず番付」(相撲の番付のように様々なものをランク付けした表の惣菜版)で、精進方の大関(当時は最高位)と魚類方の大関になっているのです
つまり、庶民の惣菜のチャンピオンですね
「失礼ですがあなた方は、ハンバーグやカレーばかり食べているから、娘さんを取り戻すいい考えも浮かばないでしょう」(kimcafe意訳)て、私のことじゃないでしょうね(^^ゞ
また、上州屋の場の後半にも面白い台詞があります
「どうで、ひじきに油揚げの惣菜などを旨がって食っている料簡じゃ、200両はさておいて100両の礼も難しかろう、僅かな礼を悲しんで、娘っこを殺すとは、はてさて気の毒なことだなあ」
いったんは200両の礼を断られた宗俊が吐く強烈な皮肉ですが、「ひじきと油揚げ」も当時から庶民の惣菜の代表格でしょう
上州屋というのは質屋でも三間間口(てことは5.4メートル)の大店ですので
大名もおよばぬ金持ちだったのかも知れませんが、質屋といえばケチの代名詞
のようにも言われ、惣菜などは質素なものを食べていたのだと想像され・・・
紹介した惣菜のうちで、「八はい豆腐」だけは現代ではおなじみがありませんが
調べたレシピで再現してみました・・・ちょっと違うかも、スマソ(^^ゞ
水6、酒1、醤油1、の割合で煮立てたところに、棒状に切った絹豆腐入れて、
さっと煮立て、大根おろしを添えて食べる、というところですがなかなか、うめえでござるぞ
ちなみに、天衣粉上野初花は12月25日まで国立劇場でやってますよ(^_^)v
河内山宗俊は松本幸四郎で~す! よお!高麗屋(^。^)
歌舞伎に伺うのは2月の歌舞伎座以来ですから、9ヶ月も空いていたことになります。ひと頃は毎月欠かさず見るようにして、歌舞伎座まで歩いて通えるように近所に住んだこともありました。数年も拝見していると、再演を重ねていたり、役者さんの好みも出てきて、歌舞伎ならば....... more
明日は健康診断だから、こんな料理が良いかな?
なんか最近、kimcafeさん凄くない?
感動しちゃうかも~
今日はすっかり歌舞伎の解説にのめりこんじゃいました。
こういうふうに往時のおかず談義なんかされると、江戸時代がぐっと身近に感じられ、にわか歌舞伎ファンになりそうです♪
目刺、食べたいなぁ。。じゅるっ
お褒めいただきありがとうございます
自分で作ったのかって、もちのろんです(^^ゞ
伝統的な日本食は塩分の多いのを除けば理想的だそうですよ
河竹黙阿弥の食生活、気になりますね
江戸時代の人間のようですが1893年まで生きた人なので、けっこう
洋食好きかもしれませんね